1/26/2017

[pol biz] 中国の歴史捏造疑惑をビジネス上の戦略に取り入れたアパグループ

中国人によるインバウンド消費の終了とか、ナショナリズムによる国家間の分離主義の台頭やら、色々と象徴的な感じがするところの、アパホテルの南京事件否定書籍設置の件についてです。

既に周知の通り、本件は同ホテルを含むアパグループ経営者の元谷外志雄氏が藤誠志名義で執筆した著作「理論近現代史学II」を客室に設置した事によるものです。同著作は、南京大虐殺に対し否定的な見解を取っており、これが中国政府の見解と真っ向から対立するものであることから、その反発・非難を招き、当然に撤去の要求も受けたところ、これを拒否したことで、その対立が決定的なものになったというものです。なお、今以ってその対立は継続中で、概ね膠着状態に入ったように見えます。一旦まとめるにはいいタイミングなのかな、と。

当然の帰結として、中国ではその撤去を強制すべく、殆ど同ホテルの利用を禁止する類の措置が採られ、また同ホテルの予約サイトへのDOS攻撃も実行されて一時予約不能になったりしていたようですが、これらの中国側からの活動は功を奏することなく、アパグループの姿勢を硬化させ、また報道を通じてその主張を広く鮮明に知らしめただけの結果に終わっています。

さて。本件は色々と際どいラインを通っているものですから、端から見ているだけでもハラハラさせられます。そもそもそれなりの規模を持つ法人事業者が、その事業を通じてこの種の政治的主張に関わる措置を採る事自体が稀な事から、前例に倣って理解する事も困難だという事情もそこに一役買っているのでしょう。そのような話ですから、本件を理解するにあたっては、原則として個々の事情を具体的に把握した上で、理論的な分析を積み重ねる他ないわけです。しかしその際どさから、その理解における少しの違いが、結論における是とする側と否とする側への分かれ目になってしまう怖さがあるように思うのです。国家間の話だし主義主張の話だしで、もとより是非両論あって当然なのですけれどもね。

ともあれ、順に検証してみましょう。まず、問題の書籍自体についてはどうか。結論から言えば、準拠すべき国内法に照らして違法なところはない、と言うべきでしょう。元谷氏が上記著作を執筆したこと、またその中で南京大虐殺の存在を否定する見解を述べた事、そしてそれを書籍として発行した事は、全て合法です。というよりむしろ、それらの行為は表現の自由として日本国憲法の保障するところであって、内容の修正・撤回や発行の禁止等を強制する権利は誰にもないし、元谷氏側にそれらの要求に従う義務はないのです。なお、当然ながらアパグループは書籍自体については法的には何の関係もなく、法人として責任を負うことはありません。

では、著作をホテルの部屋に設置した点についてはどうか。書籍それ自体が合法である限り、その客室への設置を禁ずるものと解される規制は存在せず、事業者の自由に委ねられているところであり、従ってこれも原則として合法です。ただ、その目的が違法なものである等の特段の事情がある場合は違法となる余地はあるでしょう。実はこの点に関連して、少々際どい話が出ていました。それは、アパホテル側が出した声明として流布され、後に同社によって否定された"中国人の予約は受け付けない"という旨の発言です。

本発言は明らかに宿泊の拒否を表明するものですが、営業者が宿泊を拒否し得る要件は旅館業法で定められており、国籍・人種等は当然ながら該当しません。そのため、中国人である事を理由とする宿泊拒否は、違法となります。このことから、本件書籍の設置が、本発言と同様の意図、すなわち中国人の宿泊拒否を目的としてなされたものである場合には、やはり旅館業法違反として違法性を帯びるものと言えるでしょう。流石にその辺はアパ側も理解していて、本音はどうあれ否定する外なかったのでしょう。

この点は本当に際どい感じです。このような書籍の設置が、中国人に対する事実上の拒否とも解しうる事は周知の通りであるわけですから。しかし、それはあくまで事実上の話であって、宿泊やその予約自体を拒否しているわけではない事、また本書籍は経営者が公に発行した書籍であり、専ら宿泊拒否目的のために作成されたものではない事、大多数の中国人は日本語で書かれた本書籍を読む事が出来ないため、拒否の意図があったとしても伝わらず、実際の宿泊に際して本書籍による中国人への拒否自体が不能と言えるだろう事、また客室への同様の書籍の設置は今回に始まったものではなく、同ホテルで以前から常態的に行われている措置である事、等からすれば、宿泊拒否の意図が窺われる事は否定されないにせよ、今回の書籍の設置をもって、ただちに中国人の宿泊を拒否するものとは解せられない、と言う外ないように思われるところです。

結論はやはり合法というべきでしょう。しかし実際には中国人を排除する効果があるわけで、おそらくは意図的だっただろうところ、本来違法である筈の特定国籍人のみの排除を合法的に成功させた事には、脱法的な側面はあるにせよ、上手くやったものだと、ある種の感嘆を抱かざるを得ないのです。それ以上に、よくこんな怖い事するなとも思うのですけれども。既に発生しているソフト的な攻撃は無論、物理的な攻撃の標的になる可能性は非常に高いだろうし、そこまで行かずとも、機会損失は無論としてそれ以上の事業面の著しい困難に直面する可能性もあって、一歩間違えば、というより何も間違わなくても問答無用で破滅しかねないレベルのリスクを負っているわけですから、普通なら、大手と言えども一私企業グループに負えるようなものではないように思われるのですけれども。。。元谷氏はよく平気ですね。氏の事は何も知りませんが、きっと経営者じゃなかったら靖国通りで街宣車乗り回してただろう、的な人物なんでしょう。そうでもなければ、どうしてこんな無茶を為し得るというのでしょうか。

問題は、このあまりにも有効な排外措置が、他の事業者等へも広がるのか否かです。実際のところ宣伝にもなるでしょうし、そこそこ広まる可能性は低くなく思われる一方で、右翼的な言説・活動自体への忌避感も相当なものがありますから、どうなるとも予測する事は困難です。が、そもそもこの種の、歴史問題周りの行為を中韓との距離を取る為の手段として利用する、というのは日本政府が近年よく行なっているところでもありますし、これから時間をかけて忌避感が薄れていく可能性もないではないのかもしれません。

いずれにせよ、本件で一種のタブーが破られた、と言っていいのでしょう。それも二重に。一つは、政治的な問題、それもナショナリズムに関する対立を公共的な性質の強い、民間の大手事業者の事業に持ち込んだ、という点。もう一つは、インバウンド消費の主たる顧客として半ば特別視されてきた中国人を、その受け手の業界であるにも関わらず、敢えて排除する姿勢を公にした、というものです。

それは、経済的な合理性というだけでは説明し得ない、というよりそれを犠牲にしてでもナショナリズムを優先する、国家を主体とした分離主義の現れと解釈すべきなのでしょう。分離主義は既に欧米での政権においてその隆盛が明らかになっているところですが、それが政治のレベルに止まらず、民間にも波及している事を示すもののようにも思われるのです。これが、一過性のものに過ぎないのか、それとも引き返す事が困難な、決定的な社会の転換の始まりであるのか、それは現時点では知りようのないところです。ただ、その違いは、あまりにも重大なものなのであって、それがどちらとも判じ得ないというのには、やはり不安を覚えずにはいられないのです。

さしあたっては、改正と称する憲法の形骸化・無効化が実現されるか否定されるかが一つの焦点になるでしょうか。自民党の草案は、尽く人権を国家及び公権力に劣後させ、さらに公権力の拡大を図る、あまりにも酷いものです。それが全ての国民の意思でなされるならそれはそれで仕方のない事なのでしょうけれども、そんなわけはないだろうところ、それでも、国家を第一に据え、国家を守るための軍隊を作り、個々人の人権は国家の利益の前に全て犠牲とされる、戦前・戦中の悪夢のような社会が再び訪れる事になるのか、その可能性が小さくないという、陰鬱たる現実を、今回の件は改めて感じさせるものでもあるように思われてならないのです。

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