8/16/2014

[law] 米ミズーリ州の警官による黒人少年射殺、被害者を貶め正当化を図る警察

米Missouri州Fergusonの警官による黒人少年射殺事件、ようやく犯人たる警官の氏名が公表されました。勤続6年のDarren Wilson、人種は白人との事。事件の発生から一週間も経ってからの発表となります。

と言っても本当にそれだけの発表で、それ以外の本件の詳細についての情報は殆ど明らかにされていないままです。その一方で、被害者のBrownはその直前にコンビニでタバコの窃盗を働いた容疑がある旨だけが発表されました。

本件殺人はBrownが嫌疑を受ける中での事だったのか、と思えばさにあらず。Wilsonは窃盗容疑の事を知らず、従って本件射殺とは直接の関係が無いというのです。本件の経緯を伏せる一方でこのような容疑だけを大々的に発表するというのは、順序が逆で意味不明です。もっとも、本件容疑を発表した警察の意図は明らかです。要するにBrownは犯罪者で、だから殺されても当然の人間であり、Wilsonの射殺は正当化される、と言いたいのでしょう。遺族はじめ当地の住民もそのように受け止めたために、余計に反発が拡がっているそうです。

言うまでもなく、窃盗は窃盗としてそれに応じた法的手続きにより捜査と処罰がなされるべきものであって、窃盗犯だからと言って殺人が正当化されよう筈もありません。ましてWilsonはBrownが容疑者である事すら知らなかったのだから、元々本件殺人に何の関係もない話なのであって。今回の警察による発表は、およそ不当に被害者の人格を貶めるだけの単なる名誉毀損であり、違法に殺人犯を擁護しようとする論外なまでに不法な行いと言わざるを得ません。大体、仮に警察の言う通り、窃盗をするような人間は射殺して良いと言うのなら、殺人犯たるWilsonは当然に私刑によって殺されても構わない結論になりますが、しかし実際には手厚い保護を与えている、というのでは整合しません。それは非難も拡がって当然というものです。

しかし、よりによって司法の執行を担う警察が、かように本来体現すべき法の正義と真逆な振る舞いを公然と行うとは。法治国家が聞いて呆れます。しかもこれが、これまで中国はじめ他国の人権侵害を散々に非難して来た米国の事とあっては尚更です。もう2度と正義とか口にするなと思いますね。

ところで、本件で警官の氏名が公表される前に、特定して報いを受けさせると言って鼻息荒かったAnonymousの連中が間違えて無関係の他人を晒した挙句内紛に陥ったり、公表後も同姓同名の別の警官を晒して非難する連中が出て、その別人が黒人だったものだから人種差別を問題視していた人達が一時的に混乱に陥ったり、2次・3次の被害が続出しているようです。無論そういう思い込みや浅慮に基づいて判断や行動に踏み切る人達にも責任はあるのですが、そもそも警察が容疑者たる警官を不法に擁護しようとして隠蔽を図ったのが原因なわけで、それらの混乱やそれに伴う被害にも、一義的な極めて重い責任があると言うべきものでしょう。その意味でも、そのあまりにあまりな愚かさは、本当に救い難く思われてならないのです。

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