6/26/2012

[law] 消費税倍増法の衆院可決に

通ってしまいました。残念です。2つの意味で。

一つは、議論すらしないとまで宣言した選挙時の公約を真逆に違え、国民に対し完全に背任する形で可決に至ってしまった事。大多数の国民が政党と代議士、すなわち現状の国政に抱いただろう感情、認識は、不信を遥に越えて敵に対する憎悪の域に達し、もはや代議制民主主義自体が根幹から崩壊してしまったように見えます。それが革命に繋がるのであればまだ救いもあろうけれど、システムの変革に必要な種々の素地に欠ける日本にあってそれは望むべくもなく、多分に絶望とともに短絡的かつ自傷的な動きが強まり、単に衰退の度が強まるだけなのでしょう。

もう一つは、ここ数年進められてきた経済政策の方向性、すなわち国内における経済活動の大幅な縮減が決定的になった事。周知の通り、この十年来は各種控除廃止や税率変更による所得税、住民税の増税及び年金・健保等社会保険料の急激な増額等により、一貫して可処分所得を大幅に減少させる政策が採られて来ました。消費創出の源泉たる技術革新も既に枯渇し、殆ど全ての製品が陳腐化するにつれ、先進性を拠り所にして来た国内の生産活動は弱体化の一途を辿っています。結果、家計の消費意欲はもはや消滅しつつあると言うべき縮退局面にある現状、この上に消費税を大幅増額し直接に消費を絞るとなれば、その当然の帰結として国内のあらゆる経済活動が決定的な縮減を避けられない、その見通しに疑いの容れる余地を見出す事は、殆ど不可能に思われるのです。

もっとも、どちらも今に始まった話ではないし、仮に今回の消費増税可決がなくとも、行き着く先にさほどの違いがあったわけではないでしょう。限りなく近づいていたものが、より決定的になった、というだけの事なのかもしれません。ただ、国政の国民に対する背任については、事前に国民の付託を受ける手続きを踏む事で最低限の信義を維持する事は当然可能だった筈だし、経済への悪影響についても、政府機関の縮小等、支出を削減する事で経済活動の縮減を招かず財政均衡を目指す道もあった筈、にも関わらずかくも破滅的な結果に至った事には、失望の念を抱かずにはいられません。何が悪かったのか。そう問う意味も、もはや見出せません。畢竟、我々全てが愚かだったし、今以て愚かである、その帰結という事なのでしょう。残念です。