4/07/2011

[biz] 支援を名目にした消費勧奨

今もって拡大すら続けている震災被害に直面して急激に変質、縮小した経済状況に対し、関西を中心として、被災地、被災者の支援を名目とした消費呼びかけが多々見られるようになりました。この種の、消費抑制を懸念し被災地域外での消費増を呼びかける声は、地震発生の直後から継続的に発せられていましたが、放射性物質汚染の影響の分も加わって、食産業を中心に一際強まってきたように思われます。

今回の天災による直接の被害が及んでいない地域における消費減退は、一種の喪に服しているともいうべき消費マインドの冷え込みがその原因である事は明白で、消費者各人の気の持ち様によって回復する可能性があるのは間違いなく、その転換があれば、国内経済にプラスの影響が期待される事、それが被災地の復興に寄与する可能性がある事には、まず異論は無いでしょう。

しかし、今唱えられている消費勧奨、その内容の多くは、単なる外食や宴会、被災地以外での観光旅行といった局所的な娯楽産業、また新車の購入といった、従来から地域間でその効果が殆ど遮断され、従って被災地、被災者とは少なくとも一義的には関係しない、経済的支援には繋がらない筈のもので占められているように見えます。

そもそも、殆どの局所的な経済活動は、以前から地域間格差としてその隔絶が認識されていた筈です。一方の地域の繁栄は、他方の地域の衰退と正に相関していました。都市の繁栄は地方の衰退を引き換えにし、首都圏の繁栄は関西圏の衰退を犠牲として伴っていた。その対立する関係が、どうして今回に限っては逆になると言えるのか。

全国的な企業経済、雇用の維持のためと言う人もいます。しかし、国内すら捨て、海外への移転を推進し続け、その自由に任せれば被災地など真っ先に切り捨てかねない、大企業を初めとする企業経済を支援する事が、何故被災地の支援に繋がるというのでしょうか。他にも、税収を増やすため、義援金を増やすためという声もあります。被災地に回す資金にあてる、というつもりなのでしょうけれど、その消費した金額の内、どれ程が被災地への支援に回ると言うのでしょうか。数%すらも回らないでしょう。ならば、そもそも消費を控えて全額被災地に送るか、支援物資の購入、また当該地域、産業への投資に当てるべきである筈、実際多くの人がそれを実践しています。直接支援すれば格段に効果が高い筈なのに、何故そうせず、地域内で回し、回させようとするのか。

そこには、詭弁があると考えざるを得ません。すなわち、それら被災地外の、消費者の性向の変動に伴って需要を失った地域産業が、被災地支援など殆ど関係ない事は知りつつ、主として自身の事業維持、利益回復、あわよくば増加を意図した営業活動、その大義名分として被災地の復興への寄与を持ち出している、すなわち便乗に過ぎないものと思われるのです。

もちろん、各個人、企業、組織がどのように営利を図ろうとも、利益の確保、増大のため、また自身の生活のために、いかに不誠実な便法を用いようとも、違法でない限りは自由であるし、それ自体はむしろ自然な態度であろうと思います。しかし、人を支援し、復興を支援すると言う事は、積極的、直接的に実践する場合にすら相当の困難を伴うものです。軽々と用いるべき言葉ではない。少なくとも、以前と同様の生活を楽しむ事が支援になる、などというように、非当事者としての自身の現状を維持、正当化するために用いて良い筈はないでしょう。

支援を叫ぶならば、呼びかけるべきは、原則としてすべて被災地内でなされるものでなければならない筈。第一に直接の物資送付、第二に地域内の社会基盤復旧に必要となる各種緊急支援、次に中長期的な復興策として、早急かつ大規模な新規企業進出、投資、それに伴う避難者の復帰、新規住民の移住。関西での消費推奨のような地域外での活動は、それらの内、少なくとも第二の段階、社会基盤の復旧が成され、被災地域との間の循環が成立した後、その循環に乗るものに限って意味を持つ筈であって、現状では大部分が支援と呼ぶに値しないものであろうと、そのように思うのです。